がないのは
いいことなのかもなぁ。
弱い自分の方が
周りの人に
もう少しだけ
やさしくなれたり
繊細になれたり。
元気があると
何だか
無神経で
うるさくて
周りの人を
overpowerしてしまうような
少し
自信過剰な空気が
大切なものを
見落としがちなような。。
自分の弱さとか
おろかさとか
いつも
覚えていたいかも。。
うん。
自分が
どこから来ているのか
いつも
覚えていたい。
こういう状況やし
私は
こうしていないと
いけないのかな。
常識的に考えて
今の私は
こうあるべきなのかな。
そういう縛りが
結構あるけど
そういうのを
はぎ取った
素の私は
何を求めてるのかな?
固定された
一般論の枠から
少し離れてみて
私は
何を願っているのかな?
私の人生を
決めるものが
誰かの通った道
平均的な生き方
そういうのから
来て欲しくないなぁ。
年齢
を重ねる中で
気づかない内に
小さな
自分なりの
法則というか
生き方というか
そういうのが
少しずつ
積もって行くのを
感じる。
毎日の
時の中で
起こるいろいろ。
それによって
自分の中に
小さな自分なりの
物事の”公式”みたいなのが
出来上がって行く。
それが
新しい自分や
新しい世界を
逃したり
避けたりしてしまう
きっかけになっている
気がする。
知らない内に
恐れ
拒否
否定
悲観
押しつけ
決めつけ
そんな
自分でも
好きじゃない
かけら達が
少しずつ
積もって
固く
動かないものになって。
そしてその内に
そこにあるのが
当たり前になって。
気づかなくなって。。
年を重ねる程に
日々の
見直しというか
風通しをよくして
深呼吸して
もう一度
いろいろを
吟味していくような
そんな時間が必要やなぁ。。
ついつい
何でもできて
強くて
元気で
優秀
完璧
そんなことを
目指してしまうけど
隣の人が必要なのは
そんなことじゃない。
ありのままの
葛藤
悩み
飾らない
等身大の
もろくて
おろかな
私の歩み。
落ちた心が
また上を向くことが
できるのは
元気で
賢い人の
ポジティブな
一言ではなくて
痛み
暗やみを
知っている人が
ただ
隣に座ってくれること。
無力と知りつつも
ただ
そばにいてくれること。
こうして
不完全が
恵みに変わるのかな。
特急
準急
快速
普通
小さな駅を
とばして
かっこよくて
早い
特急と
1つ1つの駅を
ゆっくり行く
普通。
特急は
便利で
たぶん多くの人が
特急に乗ることを
選ぶのかな。
私は
丁寧に
1つ1つを大切に。
普通がいいかも。